推しアプリの話をしたい、ほとんど愛の供述かもしれない。去年からメモアプリとしてObsidian を愛用している。以前は過去2〜3年ほどNoitonを個人用と仕事用の両方で使用していたが、個人用に関してはObsidianにほぼ移行した。特にインプット類、例えばkindle本のハイライト・zotero連携した論文のハイライトやメモ・omnivore(あとで読むアプリ)でのWebクリップなどを、Obsidianに集約している。Obsidian内ではノート同士をリンクをつなげ、自分だけの知のネットワークを構築できることが大きな特徴の1つである。
と、Obsidianの機能や拡張性については、ツール好きとして語りたいことは尽きないが、調べれば先人たちが日本語でもノウハウを公開してくれているため、ここで多くは触れない。気になった方は是非ググってもらえると。
個人のデータを自己所有することは可能か?
わたしがObsidianの気に入っている面のもう一つは、プロダクトの背景、データの自己所有に関するビジョン・設計思想にある。
通常、生み出したデジタルデータは、誰か(多くの場合はシリコンバレーの巨大プラットフォーム)が所有し、データベースに保存され、ユーザーはクラウドサービスにログインしなければアクセスすることさえ叶わない。サービスのサブスクリプションを止めてしまうと、Adobeのphotoshopファイルも、大昔使っていたEvernoteに保存した記事も、独自フォーマットを使っているためログインできなければ、ただそこに在るだけで使えない文鎮データ(?)となってしまう。いわば、自分のアウトプットを人質に取られているような状況とも言える。(※1) 10年以上使っているAdobeファイルへのアクセスを犠牲にして支払いを辞める勇気は出ないし、Evernoteのサービス料金改変時には信じていたのに裏切られたような絶望も感じた。
セルフホスティングへの不可能な旅
クラウドサービスやプラットフォームに頼るのを辞め、自らが生成するデジタル人工物を、自分の手の中に置き続けることは可能なのだろうか?
そんなことを考えていたときにテック系ポッドキャストVergecastで、ソフトウェアを自己所有できるのかチャレンジするエピソードに出会った。『セルフホスティングへの不可能な旅』とタイトルで出オチネタバレ不可避だが、クラウドサービスに頼るのをやめ、自分が完全にコントロールすることが可能なソフトウェアのありようを探るべく、セルフホスティングに挑戦する。そして話者であるDavid Pierceは、タイトルの通り、最終的に無理だと悟り諦めることとなる。意気込んでチャレンジして諦めるくらい、現状はソフトウェアやデータを完全に所有することは難しい。
一方で、この回に対するリスナーの意見もごもっともで『ハードディスクは数年で壊れるので、Dropboxにお金を払ってデータを保存してもらうほうがよっぽど安全だ』『話題の中では、プロダクトの更新や互換性にまつわるコストを無視してる』などのコメントが連なっている。これらの主張も現実的であり、どのプラットフォームににどんな情報を委ねているのか、あるいは委ねるべきなのか、我々ユーザーが吟味し、選択しなければならない。
ローカル・ファースト・ソフトウェア
これらの現況に抗うためのヒントとして、ローカル・ファースト・ソフトウェアという思想が挙げられている。コラボレーションとユーザーの所有権の両方を可能にするソフトウェア原則である。より平たく言い換えるのならば、データが「私たちのもの」であると同時に 、他のユーザーの協働が可能で、ユーザーフレンドリーで、オフラインモードもあるようなソフトウェアのあり方である。Obisidianはこのローカル・ファースト・ソフトウェアの思想を代表するようアプリケーションだ。
長持ちするデジタル成果物を作りたいのであれば、取り出しやすく読みやすいフォーマットで、自分でコントロールできるファイルでなければならない。この自由を与えてくれるツールを使いましょう。File over app — Steph Ango
Obsidianでは、Markdown形式(.md)でメモが保存されるため、将来的にテキストファイルさえ開ければどんなコンピューターでも使用できる。
これまで失われてきた数々のアプリのように、Obsidianのアプリももちろん永続的ではない。アプリはいずれ時代遅れとなり、現状は活発な開発コミュニティも将来的には縮小される。だからこそ、オープンで非独占的なファイル形式を使用し、特定のプラットフォームや会社にロックインされないことによって、データの長期的に自己所有が可能となる。
自分の書いた文章を2060年代や2160年代のコンピューターでも読めるようにしたければ、自分のメモが1960年代のコンピューターでも読めるようにすることが重要だ。File over app — Steph Ango
物理メディアは、時代が変わっても残り続けている。粘土板に書かれたメソポタミア文明で使われていた楔形文字、紀元前3000年頃。(画像はwikimedia commonsより)
また、わたし自身は使っていない機能なのでここでは割愛するが、ローカル・ファースト・ソフトウェアの思想にもどって付け加えると、Obsidianはローカル環境に最適したうえで、自分のノートをネット上に公開し、ほかユーザーが共同編集できるような機能も備えている。
プロダクト原則を維持するための組織アーキテクチャ
Obsidianのビジネスモデルや組織体制も、『データ・プライバシー・ウェルビーイングを人々が自らコントロールする』ための原則を実現できるように設計されている。具体的には、彼らの資金は100%ユーザーからの支援であり、VC投資家の支援を受けずに運営している。
膨大な将来像を描く、”顧客”の囲い込む、無理な成長のための資金調達による上場や資金の返済、売上を回収するためにユーザーにとっては不必要な機能追加、これらを避けるために資金調達ポリシーを明確化。メモアプリのシンプルな機能が基盤となるからこそとれる姿勢でもあるが、開発も小規模チームを維持しようと試みている。
プロダクト原則を維持するため、組織側のありかたにも原則を反映させる。理想として掲げるのはどの会社も可能だが、活動を持続させるための決断や実行は非常に難易度が高いだろうと想像する。世の中の大きな流れに抗っていくためのオルタナティブとして、組織経営の指針として、痺れるくらいかっこいい。
理念のある人は、いつの時代も理念のあるソフトウェアを作ることができた。違いは、はるかに少ない資金と少ない従業員で、はるかに多くの顧客にアプローチできるようになったことだ。その波はまだ始まったばかりだ。
実オブジェクトを伴わないデータだからこそ、所有やコントロールの境目が曖昧になる。自己とデータのつながりあいの感覚はプラットフォームによってブラックボックス化されており、社会に対する手触り感にも少なからず影響しているように感じる。昨今のSNSによる影響や、消費を煽るための技術のあり方には疲弊もしているが、Obsidianのビジョンはテクノロジーと社会のちょうどいいあり方の1つの探索として、わたしにとっての希望でもある。推したい。
※1 この状況に対応するため、GDPRでは個人データを共通フォーマット(ex.Zipファイル等)でのエクスポートを義務付けている。しかし、身に覚えのある人も多いと思うが、大抵の場合、Exportされたファイルは扱いにくい。
👀 今週の展示
GRASP Exhibition Digest the World ──世界を鷲掴みする、採集的リサーチの実験展
コクヨ株式会社のリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」と、大阪の編集スタジオ「MUESUM(ムエスム)」、山形のデザイン&プリンティングスタジオ「吉勝制作所」によるプロジェクト〈GRASP(グラスプ)〉の展示。探索系リサーチプロジェクトは特に、関わる当事者たちはプロセスの中でおもしろみを見出すことができても、その過程を追体験的に伝えるのはなかなか骨が折れる。加えて、アウトプットが素晴らしいクオリティの短編アニメーションに昇華されているため、ともすると映像だけがフォーカスされたような展示になってしまう可能性だってある(もちろんそれが悪いわけではないが)。
探索型のリサーチプロジェクトかつ、プロジェクトアウトプットがアニメーションと、この時点で展示の構成・編集が難しそうにもかかわらず、プロセスでの偶然の発見や参加者からポロリと出てきた言葉に、展示を見にいったわたしたちも同様に出逢いハッとするような仕立てになっており、展示・アウトプットのクオリティが高くとても参考になった。
📕 15分都市についての本「The 15-Minute City: A Solution to Saving Our Time and Our Planet」が発刊(予約受付中)
📹 人間の尿から石鹸をつくる?つくりかたのレシピはYoutubeでオープンソース化されています。
📝 Democracy Nextが提案する「都市計画を民主化するための6つの方法」についての論文
「物理的に紙のメモ取っておけばいいのでは?」とツッコミしたくもなるだろうが、私のような人間にとっては、いつの間にかどこかにいってしまう紙のメモが一番儚い。