#04 賑やかな生と共にある
異なる他者と出逢うことで「わたし」の可能性を広げる、そしてそのような機会を生み出すための舞台のしつらえをしたいと思っていると、公の場で話すことがある。異なる他者と”出逢う”ためにはたぶん、1度きり顔を合わせるだけではない。互いに知り合い、気をかけ、ときには手を差し伸べてもいいと思えるような関係性を結ぶことであるように思う。このような関係性を、多方向に多様なグラデーションで編み込んでいく。
近しい言葉で「共生」という言葉がよく使われている。多文化共生、共生社会など、現代日本でよく見る使われ方は、文字が与える印象もあるのか、やさしく・おおらか・包みこんでくれる支え合いといったイメージで、多様な異なる人々が同じ場所で生きていて、一緒にいることがいいよねというニュアンスを感じる物が多い、気がする。
しかし、さまざまな生が賑う『共生』について考えていくと、「異なる他者と出逢い、共に生きていく」ことは、決して優しいだけではない。波風のたたないおだやかな水辺に、大きめの石を投げ込むようなものでもある。違和感のないなめらかな状態に異物感を放り込まれたとき、わたしたちは居心地の悪さやときには怒りを感じる。異なることから生じる歪や軋み、めんどくささやままならなさを受け入れること。言葉にするよりもずっと難しく、時には投げ出したくなる。少なくとも私にとっては、「共に生きるって良いことだよね♪」と軽く言えるようなものではない。
昔から、人間と関わることに関して対してうっすらしたと不信感・苦手意識がある。こういう振る舞いをすると相手が喜ぶかなと、自分のインプットに対して相手のリアクションを学習した積み重ねが今の私をかたちづくっている。幸い、振る舞いのインターフェースはブラッシュアップすることができる、だから、誰かと時間をともにするときは、タイミングやご園によって同じ時間を分かち合っているので、なるべくその場は楽しみたいし、敬意を表したい。そして、実際に楽しく、喜ばしさも心から感じている。しかし、根っこにある他者を受け入れることへの抵抗感や居心地の悪さのはどうにも消すことができない。わたしにとっての他者は、侵略者であり、alienであり、同様にわたしはだれかの生活を侵略している。少なくとも自分にとっては、手放しで喜べるような他者との関係性は望めない。
無傷な、喜ばしい連帯というものはこの世界に存在しない。
「ある<共生>の経験から」『望郷と海』石原吉郎著
わたしがいるところは、石原さんのような戦時シベリアといった過酷な環境下でこそないが、いきているだけで波風のたたないおだやかな水辺に石が投げつけられるどころか、じゃぶじゃぶと遠慮なく他者が侵入してくる。しかしそれをしかたなしにも許容して生きていくことが、他者とあることであり、共生であるのではないか。わからないから、わかりあおうとする。嫌な思いをしたり、傷ついたり回復したり、心配し合ったり、楽しく笑い転げたり、誰かを感じて私を知ることができる。痛みを伴う愛おしい喜びが、私の可能性を広げ、生きていていいと感覚をもたらす。
🎵今週の音楽
元ソニックユースのキム・ゴードンの新譜。自分が目指すべき70歳のかっこいいおばあちゃんはこれしか無いと思った。ありがとう。今のところ2024年のベストアルバム。ローリング・ストーンズのインタビューも最高だった。
Kim Gorden by Danielle Neu (via STEREOGUM)
今週のニュース
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📝 人生を豊かにする経済学のススメ(Dark Matter Labs)
👀 秋田市文化創造館、キュレーターで心理療法士の西原珉さんが新館長として就任
年度末の波にやられて更新が滞っていました。年度が明け、少し余裕ができてきたので、人にお借りした日本のデザインの歴史や、60年代に語られていたデザイン論などを読んでいます。新年度でライフステージが変わった方・移動や転職をされた方、生活に変化が大きい時期かと思います。ご自愛ください。