#16 わずらわしさの引き受け
どのように関わり合って、引き受け合い、共に変容していくことができるのか
私たちの組織やそこに関わってくれているパートナーたち、あるいは近しい想いで活動しているインディペンデントな組織同士との連帯について5月は思いを馳せるような時間が多かった。新しいオフィスで仲間たちとゆっくり(ほぼ)ノーアジェンダで話す機会を設けたり、PDと兄弟法人DCLの合同合宿を実施。合同合宿はだいたい年に1度くらいで3回目、今回は両法人に深く関わってもらっているパートナーやインターンを合わせて10名ほどで一日中おしゃべりをした。
合宿では、これから今すぐではない未来、われわれはどういう活動をつくっていくことができるのだろうか、あるいはつくっていきたいのかと話をした。これは私たちの組織ポリシー、態度、コミュニケーションのベースのトンマナでもあるけれど、〈わたし〉の生き方に対して、どのように関わり合って、引き受け合い、共に変容していくことができるのか、という話にだいたい収束する。事業や人数規模の拡大を目指さない小規模ビジネスにおいて、意味を拡大し変化させていくととはなにか。連帯の中で目指したい社会のありようを実現していくこのはどのように可能なのか。そしてそのプロセスに、〈わたし〉の生き方や生活をどう反映したり、させられたりするのか。法人活動は1つの小宇宙になえりえる。
こういう場で、コレクティブは解散しがち、という話をよくする。もちろん全てではないが、個が基礎にあり気軽に始められるということは、何かが起こると気軽に降りられる。だからこそもう一歩踏み込んだ協働の形が純度の高い取り組みのためには必要であるし、そこにはある程度のコミットメントが求められる。もちろんそれは必ずもお金や時間だけではないかもしれないが、気軽に降りられないことは重要な要素である気もする。
コミットメントはどんな〈わたし〉として誰と共にありたいかという宣言でもある。その宣言は場所をもつことかもしれないし、連帯のための事業に対して共同出資みたいな形かもしれないし、〈わたし〉なりのPD・DCLといううつわへの関わり方や実践ををあたらしく創造することかもしれない。そこで起こるさまざわなわずらわしい出来事を共に引き受けようとする覚悟を持つことでしか、まだ見ぬわたしひとりでは辿り着けない遠いところに足を伸ばしたり、知らない視点で目の前のものにには出逢い直せないように感じる。体重を乗せて、わたしの魂を分割して、他者へ明け渡しながら、その人の魂とどうにかこうにか共にあるということなのかもしれない。
ちょうどこの合宿の後に知人と夜ご飯を食べながら、魂の交換の話をしていた。どのように世界を知覚し、何を感じて、どういうことを思い、解釈をしているのか。合宿でひともりあがりした業(カルマ)の話と、彼の言うところFate、つまり宿命の話もそうであるが、魂の交換をしあいながら、わたしの世界への見方は多層的になっていく。どこに進むのかどう進むのかを決断していくこと、つまり経営をする、活動のリーダーシップをもつとは、私にとっては自分の魂を明け渡すことの恐さと距離が近い。だからもちろんそこには恐怖もあって、刺されたり、非難されたりすることは、私の人格や生き方を否定されることと、程度の差はあれど不可分である。もっとスマートに都会的な態度でやってる人もいるけれど、私はそういう風には生きられないから、逃れることができない。だから引き受けるほかない、それはまさに宿命的であるように思う。
📕今週の本
楽園の夕べ|ルシア・ベルリン
そもそもわたしはあまり小説を読まない、読んだとしてもそのほとんどがSFである。だから好きな小説家は?と言われたら、おそらくルシア・ベルリンを挙げると思う。
ルシア・ベルリンは「掃除婦のための手引書」が有名で、日本語では短編集として全部で3つが翻訳されている。翻訳も素晴らしいしごとだと思う。彼女の文章は初めて読むと少しとっつきにくく戸惑う。誰と似ているかを言い難く、誰とも似ていないし、自伝的な描写を織り交ぜながらも物語としての強度もある。(小説をたくさん読んでいるわけではないので、私比ですが…)
断片的なレイヤーを重ねていくような視覚的描写が特徴的で、わたしはたまの旅行に持っていきちびちびとアルコールを飲みながら読むのが好き。異国の日々を感じられて楽しい、ぼんやりとした頭で読み進めることで情景がより鮮やかに視える、気がする。テキサスやメキシコなど彼女の過ごした場所が色濃く反映された暑くて乾いた土地、ほこりっぽさ、南国の花匂い、強い日差し。
ストーリーにわかりやすい意味やオチがあるわけではない。かと思えば、急にパーンと別の場面に切り替わる。そのリズムの心地よさがわたしたちの日々の生活とも近く、彼女のただの自伝や私小説ではない物語として昇華されている。
👀最近の気になりごと
📕 誰もがデザインする時代のデザイン
前回のニュースレターを書いたときからの差分でだいぶ前になりますが、翻訳に参加したエツィオ・マンズィーニ氏の『Design, When Everybody Designs』の日本語版「誰もがデザインする時代のデザイン」が3月18日に発売となりました。デザイン領域の方のみならず、建築・都市・まちづくり・ソーシャル領域、コモンズ論に関心のある方まで、ぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。
📝 日本デザイン学会 第73回春季研究発表大会
大学とのプロジェクトで、発表だしてみる?といわれたので、色々な事情で学生時代に一度も出せなかったデザイン学会にはじめて出します。概要まとめるくらいですが、どこが自分がおもしろいと思っているポイントなのかが整理されて良い。
🤰 全国最年少の女性市長 産休取得へ
このニュースに対しての批判コメントを読んで気が滅入る。わたしは世代的にあまり遭遇しなかったのだが,10-15年くらい前まで普通にあったマタハラってこういうことなのかと理解できた。妊娠可能性をみすえた性別制限は、病にふせる可能性を排除した年齢制限、障害、ひいては怪我や病気や天災の可能性を排除するのであれば人間自体が制限されるのでは、と思う。役所くらい階層化された仕組みで回る組織は4ヶ月くらい産休で首長がいなくても余裕で回るので、絶対に批判に負けないで休んでほしい。首長が子どもを産むことを批判される社会なんて滅びるしか無い。
🌿ベルリンのデザインを牽引するクリエイティブエージェンシー「Cee Cee Creative」
。「年に数回はみんなで小旅行に出かけます。春はハーブを、秋にはきのこを収穫しに、みんなで森へ散策に行きました」と、とにかく仲良し。
ハーブつみやキノコ狩りに生きたい。あと石拾いにヒスイ海岸や鉱石をさがしにいきたい。これはシンプルにまだ人生で達成できてないやりたいことリスト
💣 組織の壊し方
全部当てはまる企業や団体をまあまあ思い浮かべることができる。
たくさんのことがおわったり始まったりして、前のニュースレターから半年もたった。丁寧にしっかり書く文章はAIで書けるので、そうじゃない文章をきちんと重ねていくべきだなと感じている。でも日々は流れていってしまい、とどめておくことができない。しかし前回も魂のはなしをしてたのでそういう周期なのかもしれない。



