専門家は“宇宙の隅”しか知らないのか?
先日、日本学術会議公開シンポジウム「デザインをめぐる知の構築と社会的理解に向けて」に登壇した。自分以外の登壇者がほとんどアカデミアの先生方で、土木・建築領域で都市計画やランドスケープ・公共調達の仕組みづくりについて取り組まれているお話を伺った。
講演の中で面白かった話や、パネルディスカッションの中ででた会話の中で面白かったことをメモがてらアウトプットする。どの話も非常に面白かったが、以下の近藤 存志 先生の『芸術文化史学における「デザイン」の範疇』が個人的に気になった。
デザインの根本としての<寛容>
デザイン史家、ニコラス・ペヴスナー によれば、デザインの根源として<寛容>を、ジョン・ロックの寛容論をしながら語っている。
ロックの寛容論とは、本来は宗教的多元性を受け入れ、国家権力と宗教の領分を峻別することで市民の生活上の利益(生命・自由・財産等)を守るべきだと説いた思想
寛容=固定概念や画一的規範に囚われず、状況ごとに現実に柔軟に対応し、利用する・生活する人や文脈に即したデザインを行うこと
ニコラス・ペヴスナーは、デザインや建築の評価に、社会的・機能的観点を持ちこみ、デザインと社会の橋渡しを試みた20世紀を代表する建築史家・美術史家。
<ニコラス・ペヴスナー自身についての来歴>
ペヴスナーは、ドイツのライプツィヒ生まれのユダヤ人。大学のポストをナチスに追い出されて亡命。イギリスの大学に運良く拾ってもらうものの、ほとんど無償で教職につく。
彼はもともと芸術史(歴史)を研究していたが、自身のままならない状況から、「より現実に近い領域を考えていく必要があるのではないか」と、芸術史からデザイン・建築史へと寄って来た。
デザインは矛盾の間で暫定的な答えを出すことでもあるが、研究や仕事で取り扱う内容と、自分のままならなさや状況のギャップへの苦悩もその1つだろう。歴史は繰り返している。
2通りの芸術家の生き方
ゴシック芸術の殆どが無名。芸術家が称えられるために名前を出して行くのがルネサンス期以降の流れ。それまでの”芸術家”は技術者・職人としての芸術家、市政のための活動であり、「生活の要求に答えた」ものづくりを行っていた。
例えばゴシック建築の華美な装飾も豪華な贅沢品ではなく、宗教教育(市民教育)の観点や、神を称えるための役割を担っていた。
一方で、ルネサンス以降の芸術家は、上級階級(ブルジョア)から庇護され、「鑑賞対象としての作品を生み出すための活動」。
ちなみにこれらの変化は変化は12世紀半ばに芽生え、13世紀以降徐々に個人名が刻まれるようなったそう
ゴシック〜ルネサンスの時代の芸術家の生き方とのことだが、今の時代におけるデザイナーの状況もほとんど同じだなと思う。高級化するデザインと、無名のデザイン。アカデミックに評価されることが1つの大きな評価基準となっている建築家の領域、「自分たちは黒子である」という職能としての共通認識があると言っていた都市開発の研究者の両方を思い出した。
専門家はどのように越境できるのか
パネルディスカッションで話題になっていた専門領域の越境といった話は個人的にはホットな話題だった。(ディスカッションの内容、終わったあとに歩きながら書いたメモをまとめたもの。)
専門家がその役割に責任を持っているからこそ、専門領域の外にでていくことの難しさがある。なぜなら専門的に「よし」とされている評価の軸の外側に出る必要がある。目的ドリブンではなく、専門性ドリブンであることで、硬直してしまうことは少なからずあるし、複雑で難しい世の中だからこそ、専門分野はますます細分化されていく。ここを超え協業することが新しい突破口を見つけていくための鍵となる、というのはイノベーションを生み出す、という点とほぼ同義であるが、この超え方なのか、超えるための個人のあり方なのか、そこのに納得度がまだあまりない。
私個人としては、オルテガ『大衆の反逆』における専門家についての批判には概ね賛同している。すべての事象は複雑で多様なものによって成り立っているので、その味方も単一専門ではなく、統合的に見つめるべきである、と。
ただ一方で、「総合的な視点」だけを持つ人は本当にいるのかと懐疑性も感じており、ある程度の専門性がないと根無し草的になってしまう。だから何かしらの軸となる知識・経験の体系はその人自身に必要だが、であはそれはどのレベルがあればこれらを統合知として扱うことができるのか、専門性を持てば持つほど既存の価値観から抜け出しにくい。
元も子もない事を言うと、専門家全員がイノベーティブである必要もないかもしれない。今ある分野を発展していくことが得意な人もいるはずで、役割の違いでしかない。しかし大抵の場合、この2つのスタンスは価値軸が異なるため交わらない肌感覚もある。異なる他者への<寛容>やそのための引受が必要といってしまえばその通りだが、引かれた線に一歩づつ歩み寄るには、何が必要なんだろうか。だいたい、オルタナティブな枠組みで、既存の価値と反することを行う場合は、怒られる。でも良いと信じて生み出していくなかでは、新しいものは見知らぬものなので、怒られる必要性もある。
われわれの活動も、自分では「デザインである」と心の底から信じているが、グラフィックやプロダクトの第一線のデザイナーからするとおそらく邪道 of 邪道なので、あなたがやっていることはデザインではないと思われたりしてるんだろう。(ちなみに、デザインの人たちは面と向かってそういう批判をしてくる人たちはほとんどいない、建築分野のほうが言論での批判文化である。)だからといって辞めることは今のところないけれども、自分が受けてきた教育や周りの顔を思い返すと考えてしまうこともある。そんなときに「怒られてもまあいいか」と、他者や社会への寛容だけではなく、自分に対して寛容であることも同じく大切なのだと思い直す。
▶️ 今日の動画
「いなぐんちゃー口説」Awich × KUNIKO Inspired by Mao Ishikawa “アカバナ” at KYOTOGRAPHIE & KYOTOPHONIE 2025 Opening Ceremony
「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 」のオープニングセレモニーにて、沖縄出身の女性写真家石川真生の「アカバナ」展からインスピレーションを得た、沖縄出身のAwichとKUNIKOによるパフォーマンスの映像。
前半の沖縄戦時下の詩の女性たちについての朗読パートも気迫せまるパフォーマンスに圧倒されるが、後半の日本語英語沖縄語チャンプルーで練り上げた沖縄の口説がものすごい。情緒的な物語が文字ではなく、詩や口伝によって伝えられてきたということを感じる、今っぽい言葉でいうと『くらう』。新しい地平を切り開いているような気がする。
👀 最近の気になりごと
「録音は禁止しているのに」 就活生向けの"面接音声投稿サービス"に懸念の声 規約には「一切の責任負わず」
・良し悪しの判断が難しい。自分が学生時代だったら悪気なくやってしまいそう。『就活』の一方的なパワーダイナミクスに対するささやかな抵抗に思える。
・本件と直接関係ないが、オンライン会議はほとんど録音⇛ログ化をなるべく徹底化してるので、リアルのMTGも録音したいと思うこともある。
星野源、孤独と創造の6年半を語る
・生まれたころから余所者の感覚、よく分かる。でもまだどこかにあるんじゃないかともうっすら思っている。
生まれた最初の頃からどこか余所者感があったんです。自分の居る場所にずっと疎外感があったんですね。音楽を作ることでその距離が縮められるんじゃないか、自分が居てもいい場所を作れるんじゃないか、そういうコミュニケーションが取れるんじゃないかと思ってずっとやってたんですけれど、いくらいろいろな方法を試しても変わらないですね。自分が居ていい場所はないとわかりました
研究ノート | デジタルフォントと商標登録
・単純に全然知らない知識
馬や自然から学ぶリーダーシップ
・これも全く知らなくて驚いた系。最近流行(?)のビジネスワードってなんだろうとうしょうもない雑談をしてたときに、違う界隈のひとがおしえてくれた。人材コーチングの界隈(?)ではやっている、馬と学ぶコーチング
Public Design Beyond Central Government Report 2025
・英国デザインカウンシルによる、中央政府以外の行政機関でどのようにデザインが活用されているのかを調査したレポート。実務の中でも、中央省庁のためのデザイン活用と基礎自治体でのデザイン活用では、大きく関わり方も変わってくると感じているので、勉強になった。
なぜgazはStudioへの事業譲渡を決めたのか ── "第二創業期"に向けた覚悟と未来像 CEO石井穣 × COO吉岡泰之
・一時期の外資コンサル含めて、いろんなところで制作チームの統合が起こってる。大企業がR&D領域を投資しにくくなりつつあるのと近い流れでもあり、 プランニング→実装までを内製化する動き方。かつ、自社プロダクトをもった企業だとヘビーユーザーを組織に抱えることによって、ユースケースやそこでの気づきを組織内に蓄積し、プロダクトにインストールしていく事ができる
ちゃんと記事書こうと思うと長くなってしまってなかなかかけないので、歩きながらヴォイスメモした内容をもとに書き直してみた。ラフにこれくらいで書ける余裕があるとよい。